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能動的人生

日本人は受け身であることが多いのではと感じた。

意見交換や議論がへただという記事は随分と前に新聞で読んだ。

学生交流の場でのこと、諸外国の人たちは自分の意見をどうどうと言うのに日本の学生は聞いているだけの人が多いと。

中には発言するひともいるが、異論を言われると憤慨したようすで黙ってしまうと。

その記事を読んだ時に、自分はどうだろうかと考えた。

異論にたいして憤慨する側のように思ったのである。

どうしてだろうか?

先ず、慣れていないからという理由が思い浮かんだ。

日頃、他人と意見の交換というものをしていないからだと。

仕事に就いている時には多かったが、そこにはテーマがあったわけで。

仕事を離れるとこれといって突き詰めるテーマがない。

仕事以外に本気で、真剣に知りたいと思ったり探究したりというものが少なかった。

生活に密着している地域の自治体のあり方、納めている税金の使われ方、政治の恩恵、住居周辺や友人はどとの人間関係、夫婦の本質。

社会に向かう姿勢や働きがけはと、ただ漫然として漠然として時を過ごしているだけのような人生って受け身、受動的でありすぎないだろうか。

仕事を離れたら抜け殻のような生活が始まったとか、無気力で怠惰な姿に粗大ゴミと評されたりという。

行動することが極端に少なくなり、身体も頭も使わなくなって認知症へとまっすぐらなんてつまらない。

働き通してきてこれから人生を楽しもうとのはずが、ふと気がつくと逆方向へとなっていく。

これなら働いていた方がいいと思っても高齢者の再就職は難しい。

私は思う、難しいとかの問題ではないと。

仕事は経済を得る生活の道具であり手段であって楽しみではないと。

稀に、好きな仕事で飯が食えるという人もいますが、あくまでも稀なこと。

仕事に逃げてしまってはいけないという視点もあってよいと思うのである。

一度しかない人生なのだから、仕事という社会的鎧を脱いだ裸の自分を大切にしよう・・・なのである。