自己中!
ミュージシャンを目指して懸命な活動、努力をしてきた女性を傷つけ人生を台無しにした男の裁判がテレビで報じられた。
ストーカー殺人と同じ構造の事件だと思う。
時計を送りつけてその意味が分かるでしょうって、見ず知らずの人間から物を送られたら、その意味がどうのという以前に気持ちが悪いし不気味だ。
別れるためのけじめを求めての話をしようと・・・そもそも交際していないのに”別れ”って何。
自分勝手に恋人同士だという想像から全てが発想されているのだろうか。
交際を申し込むということだって一方的に事を進めていく人間と同じに、相手はどういう気持ちだろうかと考えない。
考えたとしても理解できない。
否、自己中心的な視点しかないから理解しようとしていない。
そんな人間が増えていると感じる。
どうしてだろう。
考えないで覚える、覚えてテスト用紙に応えをかけばいいという偏重教育も原因しているのかもしれない。
とにかく想像力がない。
意にそわないものは認められない。
認められないものは意に沿う形を見つけるまでリセットを繰り返すのか。
ゲームなら、意に沿わない工程をリセットしてやりなおすことが幾度でもできるが、現実はそうではない。
それが他人を傷うける行為であったなら、自分の人生を刑務所からリセットしなければならない。
第一に、傷つけられた人はどうなのか。
自分がされたらどうなのだろう。
ナイフで腹を刺され、抱え込まれて首を刺されたら、それでもいいのか、例えば「気に入らない奴だから」「自分の言うことに従わないから」という理由で。
自分がされたら嫌な事は他人にしないということすら分かっていないのか。
幼稚園児だって分かることだと思うのだが。