うん、まあ申し訳ないとは思うけど・・って何だ!

「相手を傷つけた事をどう思う?」

「まあ、申し訳ないとは思うけど。」

「死にたいか?生きていたいかと訊いたら生きていたいと言ったから119番した。」

お前、それでも人間かと言いたくなる。

他人をまるで所有物であるかのような発言をしばしば耳にする時代になった。

人権というものを考えた事のない自己中心的な生き方、育ち方をしてきたのだろうか。

それはどういうものなのか?

ゲームの世界じゃあるまいし!そう、ゲームに登場するものにたいしては気に入らなければリセットしてしまえる。

今日生き現場では個性的人間は扱い辛いからだろう、変人のように評される。

そうやって皆が同じである方が扱い易いから、同調を要請してきたのでは。

個性的なことは他と変わっていることで、それが悪い評価を受けるものだという暗黙の了解がはびこっている。

だが、人は皆個性的なものなのだ。

それを隠して生きるストレスが、隠さない、隠せない個性派をじめの対象にしたりする。

大なり小なり皆ちがうのだが、小なりはどうにか受け入れるが認めてはいない。

我慢して合わせていることにもストレスがある。

それは、他を認めないという意識を育てなしないだろうか。

認めないからいじめることができる。

認めないから暴力を振るうことができる。

認めていないから所有物的認識で囲おうとする。

自分のものなのだから好きにしてよいのだと。

そんな風潮がはびこっている。

社会が個人を、個人が社会を認めない。

先生が生徒を、生徒が先生を認めない。

親だって子供を所有物化していないだろうか?

親の思う、願い子供でいて欲しいと。

望むように育ってほしいと思ってはいないだろうか。